外国人受け入れ政策と日本の未来

Author: - 19/03/2019

日本でタブ―視されてきた移民議論がようやく始まった。2019年4月から施行される新政策について、外国人定住政策の専門家が分かりやすくひもとく。

5年間で34万5000人を受け入れ

2019年4月、政府の新たな政策によって創設された在留資格「特定技能」を取得した外国人労働者が初めて入国できるようになる。計画では5年間の受け入れ人数は上限34万5000人であり、この数自体は驚くべきものではない。しかし、今後、日本はより深刻な人口減少の局面を迎え、外国人労働者の受け入れが拡大することは間違いない。その意味で政府の今回の新方針は日本にとって歴史的な転換点と理解してよいだろう。

2018年末には新政策を巡って国会で与野党の激しい攻防が続き、またメディアでも議論が百出した。長年、タブー視されてきた移民議論の封印が解けて、ようやく自由な議論が行われるようになったこと自体、大きな変化といえるだろう。

政策の3つのポイント

では新政策の中身は何か。3点に焦点を当ててみていこう。

(1) 在留期間の上限を5年とする就労を目的とした新たな在留資格を創設

これまで若年層の人口減少が激化する一方で、ブルーカラー分野での外国人の就労は原則認められず、その結果、技能実習生や「出稼ぎ留学生」の増加など、ゆがんだ形で労働者を受け入れてきた。その点で初めてブルーカラーの分野で特定技能という就労を目的とする在留資格を創設したことは正しい方向と評価できる。

一方、技能実習で発生したような労基法違反が起こるのではないかという懸念は残る。技能実習制度では不法行為が頻発したため、外国人労働者と雇用企業との間に入る監理団体は許可制となった。しかし、今回の特定技能制度では登録支援団体による登録制度をとっている。果たして新制度において、労働基準法違反や毎年7000名以上の失踪者発生などの技能実習制度で起こったような問題は回避できるのだろうか。

やがて登録支援団体間の競争が激化すると、安価なサービスを売り物にする状況となり、その結果、支援の質が落ちることにもなりかねない。問題を防ぐには、受け入れ企業と登録支援団体ともに、受け入れ態勢の充実度を第三者機関が評価し、来日前に受入れ体制の客観的な状況を外国人労働者に知らせることを含め、一般にも公開するなど、技能実習制度で欠けていた透明性を高める新たな措置が必要と考えられる。

また実質的な外国人労働者を受け入れてきた現存の「技能実習制度」を今後どうするかという問題もある。新たな特定技能では受け入れ職種ごとの人数制限があるが、技能実習制度には業種ごとの人数制限はない。両制度が併存すれば人数制限の意味がなくなりかねない。新制度ができた以上、技能実習制度を廃止するか、あるいは本来の趣旨である国際協力に限定的に運用される必要があるだろう。

さらに現在の時点で十分な制度設計が固まっていないのが、新制度で働く外国人が都会へ転職してしまうことへの対処である。新制度では転職を認めることになるが、そうであれば、賃金の高い都会へ流出してしまう可能性が高い。これについては定住の道が開かれる特定技能2号への移行を促進し、継続的に地方で働く外国人には一定の報奨金を出すことも検討に値する。地方創生においては東京圏から地方への転出する就労者に対しては同様の制度がある。

(2) 滞在中に行う試験の合格者には定住の道を開く

特定技能制度の最も重要な点は特定技能2号の制度が設けられ、定住につながる道が開かれたことである。しかし、現時点では、2号への移行は建設業と造船・舶用工業の2業種について2021年度から実施するとの方針しか示されていない。優秀な外国人を求めるのであれば、その道筋を明確化し、どのような条件をクリアすることが2号移行につながるのかを早急に提示するべきである。そうなれば、当初から2号を目指して来日する人材の増加につながる。例えば日本のものづくりの現場では、熟練工の不足が深刻といわれる。日本人の若者が減少していく中で、外国人を熟練工として日本で活躍する人材に育て定着させていかなければ、日本のものづくりもやがては途絶えてしまうことになる。

また2号に移行する前提であれば、企業としても日本語や職務についての研修に十分な費用を割くことができる。しかし、特定技能1号で終了する人材であれば、企業としては一時的な労働者としての見方にとどまる。来日する労働者も、出稼ぎ目的に終始することになり、実質的に短期労働者を受け入れてきた技能実習制度と本質的には同じということになってしまう。

(3) 定住している外国人に対して生活者としての総合的な対応策をとる

政府は入管法の改正に加えて在留外国人一般に対する処置として、2018年12月25日「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を発表した。メディアでは、今後、外国人の増加が本格化することに対して、日本としての受け入れ準備態勢を整えるためと報道されている。しかし、そうした理解でよいのだろうか。

筆者が指摘したいのは、昨年末の政府の方針決定に至るまでにすでに260万人を超える外国人が日本に暮らしながら、彼らに対する政策が欠如していたという事実である。

従来、日本には在日コリアンの人々がいたものの、それ以外の外国人は極めて少数だった。しかし、平成とともに大きな変化が生まれた。平成元年(1989年)には98万人にすぎなかった在留外国人は平成30年(2018年)6月末には264万人にまで増加した。この数は中規模県、京都府や広島県の総人口に匹敵する。これだけの数の外国人が日本に住みながら、その存在は政府から忘れ去られ、日本語教育や子どもの教育など福祉面での政策の不在が続いてきた。

30年間の政策不在という点で類似しているのはドイツのケースである。ドイツでは復興期の1950年代、人手不足から近隣の欧州諸国、そしてトルコからゲストワーカーを受け入れた。その後、人道上の問題からトルコ人の家族帯同も認められたが、その政策の終了した1973年から移民法が成立する2004年までのほぼ30年間、在留外国人に対する政策は実質的に不在のままだった。移民法以降、ドイツ政府は言語教育などの本格的な統合政策を開始するが、この30年間の政策不在がトルコ人系住民の社会的落ちこぼれやドイツ人との潜在的な確執、あるいは治安問題にまでつながったと指摘されている。

日本に話を戻すと、約30年前の1990年代に日系南米人、技能実習生、それぞれの受け入れが始まった。そして、ほぼ現在では忘れさられている事実に「興行」の在留資格で受け入れた大量の外国人女性がいた。2005年の興行での在留者数は6万5000人に達した。8割近くがフィリピン人女性だったが、彼らは日本人男性と結婚し、結局は離婚に終わったケースも多い。しかし、その結果、多くの日本とフィリピン人とのダブル(ハーフ)の子どもが生まれ、今では彼らの中には成人に達している人もいる。生まれてくる子どもに対して政府は何の対応もしなかったが、社会の偏見、日本語学習の不足、貧困や差別で苦しんだ若者も数多い。日系南米人の子ども、若者も同様である。

その意味で今回の「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」は、30年間の政策の不在を埋めることを第一義に考えるべきである。そのためには空白期間にどのような問題が発生したかについて、今後の在り方を考える上でもしっかりした過去の検証が必要である。